2010年7月19日月曜日

「今日も」(歌詩集「太陽のとげ」所収)

この歌の詩はどちらかといえば、いわゆる「社会派」ソング的な詩になっていますが、「今日も素敵な太陽に 巡り会えるかな」というのが、「生きもの」としての私の日々の思いです。そして、この歌を聴いたひとが、なかなか思い通りにならない日々のなかで「そうだね、生きてたら、なにかいいことに出会えるかもしれないね」というような気持ちになってもらえるなら、拍手!って感じで作りました。

これからの時代は、「肉食」がメインになるのではなくて、「野菜」を中心とした「植物食」がメインになるのではないか?と漠然と思っています。かといって、私は別に「ベジタリアン」ではありません。肉や魚のタンパク質も適度に必要だと思っています。(まっ、基本的にはその時々に自分が「美味しい!」と感じ、「食べたい!」と思うものを食べていくしかないんでしょうが・・・「植物食」寄りになっているのは、「歳」のせいもあるかもしれません。)

人類の脳がある時から、急激に大きくなっていったのは、「石器」という道具を作ることで、動物の骨から肉を剥がしやすくなったからだ、という説(注1)があります。
 そして今のところわかっている「最古の肉食」は、約250万年前(ちょうど人類の脳の容量が大きくなり始める直前の頃)のエチオピアで、ウシ科の動物を食べていた、ということです。
しかも石器で「すねの骨」を打ち砕き、栄養がいっぱい詰まった「骨髄」を食べていたようです。下あごから「舌」を切り取った跡もあり、まさしく「牛タン」を食べていたのでは?と想像されます。

250万年前の「ワタシタチ」と、今まさに今日のこの時の「ワタシタチ」・・・「タン」つながりとは、不思議です!

で、「今日も」の話にもどりますが、この歌のなかで歌われている「何万年もの昔から 赤く輝いてきたトマト」というのは、歌としての「語呂」や「響き」の加減があり、あえて「何万年」という言葉にしました。けれども、今日のトマトの起源をめぐっては、ペルーのアンデス原産説やメキシコ原産説などの諸説があります。そして自生していたトマトが、人間の手で栽培されはじめたのは紀元前1000年頃だとか10世紀頃のメキシコにおいてだとか、こちらの方もいろいろ説があるようです。

どちらにしても、いつ頃からどこに「自生」し始めたのかの考古学的な調査がどの程度進んでいるのか、今の私には詳らかではありません。(「自生」のトマトは、「緑」だった、というのをなにかの本で読んだ記憶はありますが・・・)「何万年もの昔から」といっても、あながち「ウソ」とも言えないのではないでしょうか?どなたか、ご存知の方がおられれば教えて欲しいのですが、今のところ「想像力」の入る余地がありそうです。

それで、この「今日も」という歌では、「トマト」を通じて「人類の歩み」(アフリカから南米のチリの先端まで歩いて行った人類の歩み)みたいなことを感じてもらえればよし、としています。歌の「詩のコトバ」としては、「事実」より「イメージ」の方を大事にしておきたい、と思っているのです。

(注1):三井誠『人類進化の700万年ー書き換えられる「ヒトの起源」』講談社現代新書

2010年7月18日日曜日

「サバンナ」(「太陽のとげ」所収)

人類が樹上からサバンナに降り立ったのは、いつのことだろう?と想像を巡らせることは、とてもロマンのあることです。
ところがいまや人類(今の私たちに繋がる祖先)がホモ(属)・サピエンス(種)として今日に到る最初の出発がどこだったのか、いつ頃のことだったのかは、いろんな説があって私たち素人には「これだ!」ということはなかなか言えません。

が、手短な本(注1)を参考にして、すこし想像を巡らせてみますと・・・

人類の祖先が、同じ霊長目であるチンパンジーなどとは分かれて、生物として別の道を歩き始めた(犬歯の縮小、直立二足歩行を推定させる大後頭孔の位置などがその特徴)といわれるのが、およそ700万年前。猿人としての人類がはっきりと直立二足歩行していたとされるのが、約350万年前(タンザニアのラエトリでアウストラピテクス・アファレンシスが歩いたと思われる足跡しかも家族で歩いていたと推測させる足跡が土の化石として発見されている)。
そして、その後(300万年前から250万年前頃)気候の乾燥化から森が縮小し、本格的に広がりはじめたアフリカの「草原(サバンナ)」という新しい環境のなかで(それまで人類は「森」が生活の中心の場であったと推定されている)、人類はいわゆる「人間らしい」特徴をゆっくりと形成していった・・・

ということが、この本から思い描かれます。

 私が、アフリカの「サバンナ」に私たちの祖先の匂いを感じとるのには、それなりの根拠があるようです。

ところで、この「サバンナ」という歌は、もともと「キリンの子供が死んだ」という一行の言葉が5回繰り返される(終わりの方で「雨のサバンナのなかで」という言葉が入りますが・・・)リフレインで、いたってシンプルな歌です。メロディがシンプルな分だけ、たぶん「声」が大事なんだと思います。
私の「声」が、この「歌」を歌うのにふさわしい声なのかどうか分かりませんが、そういうことを意識して歌ってはいます。(この歌を聴かれた方で感想があれば、聞かせてください。)

村上春樹の「歌は終わった。しかし、メロディーはまだ鳴り響いている。」(「羊をめぐる冒険」 )ではありませんが、歌が終わった後もしばらく、皆さんの心に「サバンナ」のキリンの家族の情景が、あるいはキリンの子供に対する家族(お母さんやお父さん)の思いが、残像のように呼び起こされたらいいな、と思っています。

詩に添えられているテレビ画面の映像(写真)は、咄嗟に私がカメラを向けて撮った映像で、いまやどこのテレビ局の映像だったのか、おぼえていません。キリンの子供を探す、キリンのお父さんとお母さんの物悲しげな姿を見て、本当に「咄嗟」に撮った映像です。(歌詩集「風が孵化する」をクリックしても「みんくまSongs」をクリックしても、「映像」を見ることができます。)

この「歌」を聴いて、生きるものの「悲しみ」をすこしでも感じとってもらえたらいいな、と思っています。そして、私がよく「死」にまつわることを「詩」として表現し、それを「歌」にして歌っているのは、おそらく「死」という出来事は、「生きようとしていた生命」にとっては、どんな死に方をしても、絶対に「平等」なんだ、ということを感じとっているからだと思います。
人間でいえば、どんな人がどんな死に方をしても、「死んだ」という事実の重みにはなんの違いもないんだ、ということです。
(「この世に生まれた」という事実の重みになんの違いもないように・・・)

「歌」はまだ、そして「声」もまた、ひとの「心」になにかを伝える(あるいは、なにかを喚起させる)「力」を持っているのだと思います。

(注1):三井誠『人類進化の700万年ー書き換えられる「ヒトの起源」』講談社現代新書

2010年6月30日水曜日

「青空はしゃべらない」(歌詩集「太陽のとげ」に所収)

この歌は、高校生の頃、校庭の土手に寝転んで、じっと青空を見つめていた頃のことを思い出しながら作った歌です。

青空をじっと見つめていると、逆に青空の方から心の中を見つめられている気がして来て、なにかしら「天の眼」を感じたものです。チベットのラマ教のゾクチェンのお坊さんたちが、見晴らしのいい丘に座って、じっと青空を見つめる訓練を修行としてしているそうです。(中沢新一『三万年の死の教え』)なにか「神」のようなもの、「Something Great」と対峙している姿が思い浮かびます。
「チベットの青空」って、どんな青空なんでしょうかね?きっと「真っ青な」青空、「蒼穹 」ということばがぴったりの青空なんでしょうね?
そういえば、イスラムの「アッラーの神」も、砂漠を横断する隊商たちが感じた「青空の神」(もちろん「太陽」がその中心なのでしょうが・・・)なのかもしれません。何日も雲ひとつない青空の下を歩いていると、天の方からなにものかにじっと見つめられているような気がするのではないでしょうか?ぼくが高校生の頃感じた「天の眼」よりも、もっと強烈な「眼」を感じていたのではないか、と思えます。(ちみなに私は今のところ、どんな宗教の「信者」でもありませんが・・・)

ところで、この曲を作っているとき、青空は単に「見つめている」だけではなくて、ニンゲンも含め、この地球のすべての生き物たちがつぶやいていることばや、おしゃべりしていることばをじっと「聴いてくれている」感じもしてきました。しかも、「天の父」がなにかを問いただすように「見つめる」のではなくて、そっと「耳を澄ませて聴いてくれている」母親の耳のようなやさしいイメージが湧いてきました。「天の鼓膜」ということばは、そのときにふっと出て来たことばです。

詩のことばの感じ方、歌の聴き方はひとそれぞれでいいと思いますが、僕なりに感じたことを書いておきます。(これからも、書いていきます。)